町中を散歩していると、すてきな庭に出会うことがありますね。私は特に英国式庭園が好きです。中でも特に、多種多様な花々が、季節折々の様相を見せながら咲きみだれる、いわゆる「コテージ・ガーデン」のすてきなのを見ると、もう辛抱たまらない!となります。色とりどりの花の影から、ひょっこりピーター・ラビットが飛び出してきそうな、そんな庭。……憧れます。話は飛んで、英国文学に登場する庭の描写にも、さまざまな文化的背景があるのだとか。例えば、『ハリー・ポッター』のウィーズリー家の庭。ウィーズリー家の庭はハリーの理想の庭。のびのびとした描写は、典型的な「コテージ・ガーデン」を思わせます。この「コテージ・ガーデン」が隆盛したのは十九世紀ごろだそうです。上層中産階級で流行ったのが定着し、今に至るのだとか。そして、ロンのママは庭に入ってくる小人がお嫌い。社会人類学者のケイト・フォックス曰く、英国では庭の小人(陶器のノームの置き物)は下層中産階級や労働者階級の庭に典型的なものだそうです。つまりウィーズリー家は上層中産階級。そしてママは階級意識のしっかりした人。そして彼女とは逆に、小人におおらかなロンのパパは、小人なんか心底どうでもいいほど上層の階級出身か、小人を好む階級出身か、ということになるようです。さすがはガーデニング王国・英国。庭の描写一つ取っても、奥深いですね。

書店での立ち読みしながらの選書は、繰り返しているとだんだん脚が疲れてきますね。そんなときにありがたいのが選書スペース。座ってじっくり、落ち着いて本の内容を吟味できるので、いつも活用させていただいています。注意しなければならないのは、決して「読書」スペースではなく、「選書」スペースだと言うこと。あまり長時間居座るのはマナー違反です。この選書スペース、書棚の端に設置されている場合もあれば、窓際にカウンター付きで設置されている場合もあります。個人的な好みは後者です。特にビルのような実店舗の選書スペースですと、ふと目が疲れたときに何かと気分転換しやすいので、利用機会が増えます。いつもと違う目線から見下ろす道路。移動する無数の人々。いつもと違う目線から見上げた空。ほんの少しだけ近くなった気がします。ビル街にあるような書店ですと、ビルのスモーク窓がぴかぴかとその時々の空を映したりするので、楽しいです。選書が終わったらレジで購入。帰途につく。紙袋の幸せな重み。選書スペースを活用したおかげで脚の疲れも少し取れて、足取りも軽い!笑。選書スペースのある書店が、これからもっと増えていくといいな、と思っています。

ネット上で小説が読めるサイト、知ってますか?何年か前に流行った携帯小説ももちろんですけど、パソコンで読めるサイトもかなり多いみたいです。中には、名前変換という機能がついているサイトもあって、ドリーム小説とか夢小説とか言うらしいですが、自分が主人公の一人になれるというので人気なんだそうです。もともとあまりネット小説に興味はなかったんですが、自分が主人公になれるとなれば話は別です。自分で書く才能がないので、上手な人が書いてくれた作品にお世話になっています。冒険的なファンタジーもミステリー的なものもありましたが、多いのはやっぱり恋愛系ですね。しかも、日常生活に沿った物語が多いのでリアルな恋愛体験ができます。
いくつかのサイトを除いて見たんですが、大体どこも、主人公、ヒロインの名前を変換できるみたいですね。多いサイトでは、主人公の友達やヒロインの友達などまで設定できるようです。もちろん、ヒロインだけ、主人公だけ、なんていうこともできるみたいですよ。学生時代にこれがあったら、クラスの気になる男子や憧れの先輩と恋に落ちるなんていう妄想がより具体的なものになったのに…もっと早く出会いたかったです(笑)

自分を喜ばせる事の出来る物がすぐ近くにあるといいですよね。何も高い物じゃなくていいんです。高級料亭の料理とかそんなんじゃなくて、近くのコンビニのスイーツとか、好きな本とか、お気に入りの写真とか、抱き枕とか。なんだか心が乗らない時、うきうきしない時、落ち込んだ時泣きたい時、そんな時には少しでも好きな物に囲まれていれば気持ちも少しは楽になると思うんです。好きな物が問題を解決してくれるわけじゃないけど、落ち込んでる時に更に追い討ちをかけられると良くなる物も良くならない気がする。逆にハッピーな時には、更に気持ちを高めてくれて嬉しくなるんです。好きなスイーツをお皿に乗せて大好きな本を読む時間は最高です。それが手の届く所、金銭的にも場所的にもあるからうれしいんです。1個1000円も2000円もするようなスイーツだとなかなか手が出ない、それこそ何かあったときに自分へのご褒美としてしか買えません。そんなものではなく毎日を楽しくさせてくれるアイテムとしてあるのがいいんです。やらなきゃいけない家事や仕事、勉強なんかがある人にもきっと共感してもらえるはず!掃除機かけ終わったらお饅頭食べようとか、勉強終わったらマンガ読もうとか、そんな小さな喜びです。毎日楽しく過ごしていければ最高ですよね!

毎日の生活に疲れたとき、飽きた時、いつもとは違う事をして復活を試みます。なんでもいい。例えばいつも出かけない時間に出かけてみるとか、いつもとは違うお店に行ってみるとか、起きる時間をちょっと変えてみるとか、違う種類の本を読んでみるとか、見たこと無い雑誌を眺めてみるとか、少し贅沢な物を食事に取り入れたり、好きな物を食べたり、自分の生活に喝を入れるべく、そして張り合いを出すためにはとてもいい方法です。人間ですから、いつもと同じでは飽きてしまう。毎日ステーキ食べてたらお魚も食べたくなるのと同じです。好きな物でも飽きることはあるし、いつもは満足している生活でも少し物足りなく感じることがあって当たり前です。ストレス発散に温泉やカラオケなんかもいいかもしれませんね。人によって好き嫌いがありますから一概にこれが言いというのはありませんが、自分がすっきりした、明日から又頑張ろうと思える気落ちになれるような事だといいんです。この頃一番効くのはいつもと違う時間に活動してみる事です。いつもは見ないテレビ番組なんかが見れるし、同じ場所なのになんとなく違う場所にいるみたいな気になれて面白いです。今日も夜更かししようか考え中です。

本屋へ行ってきました。読む速度が遅からず速からず、でも本の増えていく速度は人より速いと思うこの頃。本屋に行くと読みたい本がつい見つかってしまう、特に古本屋だと次に行った時に無い可能性があるのでほぼ買ってしまいます。買ってばかりで読まない「積ん読」、「読んだ積もり」みたいな風にはなりたくないので、最終的には目を通す事になるのですが、その為には本を買うことを一旦中断する事が必要になります。通販で買う時も、送料の関係で一気に買ってしまった方が得なのでどさっと買いますが、必ず読むようにしています。昔、買ってそのまま本棚に置いておいて読んだ気になったり、薦められて自分が好きかどうかも確認せずやみくもに買っていた事もあります。それではお金も勿体無いし自分の為にならないと、ちゃんと読み通すようになりました。本は増えていくけど無駄なことはしないように心がけています。でもずらっと並んでいる本を見ると、本屋でも図書館でも、自分ちの小さな本棚でも、嬉しくなるのは否めません。来月は読書にたっぷり浸かるつもりです。溜めていた本を読み、無駄のない読書生活を送ろうと思います。その為にはしばらく本屋へ通うのを止めようと、本屋を出た後に思う今日の出来事でした。

海外の文化が入ってきて、洋画、洋楽、洋食が今では盛んに溢れています。でも最近は、和のいい所にも惹かれます。和柄特有の美しさとか、和食独特の旨味とか、着物の綺麗さとか、違う物に目を向けたからこそわかる独自文化のいいところだと思います。海外の文化が入ってきたからこそわかる日本文化のいいところです。同じ物ばかり見ていたら飽きてくるしありがたみも減ってくる、よそへ目を向けてこそわかる持っているものの良さです。子どものころなんかは海外の服かわいいとか、洋食がおいしいとか思っていましたが、大人になると魚の美味しさがわかってきたり、着物がかもし出す日本女性の本来の魅力だったり、茶道や華道の意味もわかってきました。かといって毎日着物は着れません。なので小さな物で和を取り入れるようにしています。和柄のしおりを使って読書を楽しんだり、和柄のハンカチを使ったり、化粧ポーチに和柄物を使ったりして楽しんでいます。いつか、着付けを習いたいなと思います。毎日使う技術ではないけど、きっとどこかで役に立つと思うんですよね。友達の結婚式とか、将来子どもの成人式とか。今一番興味を持っていることです。どこか近くで習える所がないか探してます。

突然ですが、どんな小説家さんが好きですか?私は本が好きなので、本が目の前にあればなんでも開いてしまうのですが、好きな作家さんと、好きではない作家さんに明確に分かれます。
あくまで私の場合なので、人によって全く異なると思いますが、書いてみます。
私は、どちらかといえば読んだ後の余韻が強く残るような小説を書く人が好きです。心にほんのりと余韻を残すような小説や、こちらまで考えさせられてしまうような小説です。そういった小説は、読んだ後も楽しいからです。
残った余韻というのは、作家さんが意図する場合もあるとは思うのですが、大抵の場合は「こう!」という答えが用意されていません。
ですから、様々な解釈をする事ができます。こういった本について、読書仲間と話しををしだすと、いつまでも話しをしてしまいます。
「本当は主人公はこうしたかったんじゃない?」「そうかな、私が主人公だったらきっとこうだと思う」「あの最後は結局何だったんだろうね」「それについては私はこうだったんじゃないかって思っている」など、どんどん膨らんで行きます。
逆に、推理小説など、完結した段階できっぱりと答えが出ていてすっきりしているものに関しては、あまり進んで読んだ事がありません。
よく考えたら、そういった作品は、本を読んでいるうちに「こうかな?」「ああかな?」と、本と一緒になって想いを巡らすのが楽しいのかもしれませんね。なんというか、他人の秘密を読んでいるような気持ちになるのかもしれません。
次は、推理小説ももっと楽しんで読んでみる事にします。

先日どなたかのブログで「長く家に置いている本のページが日焼けして色褪せたりするのが、味があって好き」という文章を読みました。思わず「そうだよね!」とパソコンの画面に向かってうなずきました。以前は、本の日焼けも埃による汚れも、すごく嫌だったんです。長く置きたいものだからこそ、きれいにとっておきたい。そう思っていました。だから大事な本ほど手に取らないようにしていた、そんなこともあったかもしれません。しかしつい先日、ひどく古びた本を見つけたんです。それは私が学生時代から愛読している本でした。年に何度か行う大きな書棚整理を潜り抜け、手元に残ってきた、今は絶版の本です。当時は本の保管にそれほど気を使っていなかったので、ページは茶色く染まり、中にはシミもたくさんあります。白く新しい紙のものよりは、幾分か読みにくくなってしまっている、その本。しかしそれには、私の長年の時間が詰まっているのです。落ち込むたびにページをめくった本でした。きれいにとっておけたらそれ以上のことはないけれど、もしその本に刻まれるのが汚れではなくて歴史だというのなら、きれいにこだわって几帳面になりすぎて手に取らなくなるのは、もったいないことだと思いました。本は心の糧です。古びても味は変わらないのです。

学生時代から愛用している辞書の表紙が、ついにとれてしまいました。表紙なんてなくてもめくれるからいいか……と思いきや。やはりないと使いにくいですね。辞書の紙はとても薄いので、頭のページがくしゃっとよれてしまうんです。とりあえずガムテープで貼ってみましたが、そろそろ買い時かもしれませんね。パソコンは新しいものが出たら気になるのに、辞書は何十年も使ってしまうのはどうしてでしょう。言葉も時代とともに変わるものなのにと思いつつ、そうそう大きく変わらないからかな、とも思いました。でも今私たちが読んだり書いたりしている文章が、今でいう古文的扱いになる時代も、いつかは来るのかもしれませんよね。その時は現代の国語辞典が古語辞典になったりして。十年後は今通りでも、百年後、二百年後はわかりません。だって私、昭和初期に書かれた話を、難しい言い回しだなって思うことがありますもの。そう考えると言葉も生き物なのだなあと思います。何億年前から変わらないなんて生き物もいるようですが、大抵の物は時代とともに変わっていきます。さみしいけれど、それが事実。でも変わるからこそ時代なのだなあと、わかるようなわからないようなことを考えつつ、新しい辞書をネットで検索しています。

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次は何を読もうかな……。

一冊本を読み終えて、次は何読もうか迷ったりすることってありませんか?
わたしは結構あるんです。どうせならおもしろいものを読みたいですし。
評判の良い小説ってやっぱり面白いですもん。口コミってかなり参考になります!