数年前のバレンタインデーのことです。バレンタインデーといえばチョコレート。私にとっては何かと甘酸っぱい思い出、もとい黒歴史がつきまとう日でもあります。しかしその頃の私にとっては、もはやバレンタインデーなんて職場の皆さんに一口チョコを配ったら終了のイベントでした。
折しもその日は日帰り出張のために朝早くから特急で移動しなければならない日でした。ホームで列車の到着を待っていると、前方に並んでいた女の子たちの楽しそうな声が。思わず耳をそばだててしまいました。どうやら大学が違って遠距離恋愛になってしまった彼氏にチョコレートを渡しに行くそうなのです。本当に楽しそうで、うれしそうで、ただ近くにいるだけのこちらまで胸があたたかくなるようなはしゃぎぶりでした。
列車に乗ってからも、前の座席の背もたれについている、荷物を吊り下げるフックにプレゼントらしき紙袋を下げている女性の姿を何度か見かけました。実にうらやましい限りでしたが、私個人には特筆すべき出来事など起こらず、その年のバレンタインデーは終了。
それでもそれから、何度かすてきな出会いに恵まれました。ちょっとだけ(本当にちょっとだけ)小説の中の出来事のようなデートを経験することもできました。あの年のバレンタインがなかったら、もし職場の外に出ていなかったら、もう1度黒歴史を生成する気にもなれず、枯れきってたかもしれません。そう思うと、ちょっと感慨深いです。

見知らぬ街を1人でのんびりドライブするのが好きなのですが、たまたま向かった先で某古書店チェーンを発見してしまい、自宅近隣の店舗にない品揃えに胸をときめかせて大量買い……ということが、たまにあります。この間もそうでした。
ちょっと私生活で嫌なことがあったので、大義名分を得たとばかりに1日中ドライブに費やすことにしたのですね。ナビとスマホをお供に、その地方の名所や名物を気の向くままにむさぼる1日旅です。一応、文庫本も用意。本をバッグに入れていかないと落ち着かない性分なんです。ふとした瞬間に生じる空き時間を、無為に過ごすのがもったいなく感じるので……完全に貧乏性ですね。
朝早くから出発し、街の風景が見慣れたものから見慣れないものに変わっていく……ワクワクしますね。期待と不安が胸を交錯します。目的地は一応、城。半ば博物館と化している中をのんびり見学し、小腹が空いたら焼き団子を食べ、お昼にはあつあつのそばを食べ。疲れたらカフェでお茶を飲みながら文庫本を読み。
帰り際、せっかくなので行きとは違う道を通ったところ、某店を発見!つい冒頭の行動に走り、重たいビニール袋を提げて自宅に帰ることになりました。
家族には「何しに行ったの?」とニヤニヤされてしまいましたが、とりあえずすてきな休日だったことは確かです。いや、ほら、自分で見て買った方が失敗は少ないですし。ね。

仕事や勉強の前に「やるぞ!」と気合いを入れる。この気合いを入れる、という行為が、その時もっとも強い感情を強化してしまう、という趣旨の本を読みました。つまり、本当はやりたくないのに無理をして気炎を吐いてしまうと、すぐに集中力がなくなってしまったりして、ますますやりたくなくなってしまい、ついには挫折してしまう、というわけです。逆に、好きなことを心からやりたい!と思っていた場合は、ますますやる気が出ちゃうというわけですね。
そんな正のスパイラルについてはともかく、負のスパイラルから抜けだすには、「とりあえず」を枕詞にするのが大切なのだそう。あまり気負わず、軽い気持ちでやるべきことを片づけていく。「とりあえず」とはいえ実績が積み上がっていきますから、段々やる気が出てくる。そんなサイクルが生まれるようです。
意思が弱くてしょっちゅう挫折している私には、目から鱗の話でありました。思い起こせば、途中で投げ出したものは数知れず。でも、まあ、気楽に構えた方が良いというなら、なるだけそうすることにします。そうやって気軽に触れているうちに好きになってきて、正のスパイラルが生まれる可能性もありますし。……今追ってるシリーズ小説なら、いつまででも読み続けられるのですが。仕事も勉強も、これくらい好きになれたらいいな。

最近、どうも同じ作家の小説ばっかり購入している気がしていました。好きな作家の小説は同じものを何度読んでも楽しいですし、最新刊が出た日には小躍りしながら家に帰るってものです。――が、どうも新しい出会いを逃している気がしてならない。
というわけでその【新しい出会い】を求めるべく、某古書チェーン店に向かいました。目的はレーベル買い。そのレーベルの在庫をありったけ買ってしまえ、という作戦です。
目についたものを手当たり次第買おうとも思ったのですが、最近ハマってる作家の作品が、どうもとあるレーベルに集中しているようだったので、似たような方向性の、別の作家の作品が読めるかな、ということでこのような購入方法を取ることにしました。
カゴを持っていざ書棚の森へ。思ったより在庫は少なく(……チッ)、二段ほど空にしてレジへ。レジのお姉さんに一瞬ギョッとされましたが、こういう大量購入者には慣れているのか、ササッと袋に詰めてくれました。
帰宅後は取るものも取りあえず読書。計102冊を1ヵ月かけて読み切りました。私の読書スピードでも、読もうと思えば読めました。結果、私好みの作家がたくさん見つかって、次はどのレーベルをまとめ買いしようか思案中です。

ファンタジー小説を読んでいると、多彩な固有名詞の海にドバーッと呑みこまれていくような感覚を覚えることがあります。それらの固有名詞を単なる造語で終わらせず、人工言語まで作ってしまう作家もいますよね。馴染みのない言葉が次々と脳の中に流れこんできて、脳を洗っていくような感じです。
普通、知らない言葉が文中に出てくると、そこで読む流れが止まってしまうと思うんです。調べるにしても、読み飛ばすにしても。でも、あんまり量が多いと、脳が【そういうもの】だと判断するのか、意味がわからなくてもグイグイと読めてしまいます。語感や前後の文から判断して、言葉の意味を推測する機能が急激に発達すると言いますか、起動すると言いますか。
その感覚がものすごく好きで、図書館や書店などに行くと、必ず1冊はファンタジー小説を手にしています。内容の分類としては、【ハイ・ファンタジー】と呼ばれるものが多いです。要は架空の異世界が主な舞台となる話ですね。
ここではないどこか遠い場所で展開される夢物語、フィクション。――と言うと、何だか逃避文学の1つのように聞こえますね。でも、優れたファンタジーは時に現実への示唆に富むものです。もしかしたら、よりストレートにそのテーマを前面に出したものよりも。読み終わって異世界から帰ってきた後も、ずっしりと心に残る何か。もしかしたら私は、それを求めているのかもしれません。

先日、親戚の子供たちと会う機会がありました。普段あまり交流のない親戚で、子供たちの顔も年賀状でしか知りませんでした。実際会ってみると、何というか、元気!くるくる変わる表情と、しょっちゅう顔を出す衝動性がかわいいのですが、話題や行動の急転換っぷりについていけなくなることもしばしばでした。体力的にも、「ちょ、ちょっと待って……(ゼイゼイ)」という感じ。でも、とても楽しかったです。
彼らと話をしていると、新しい特撮ヒーローや朝のヒロインアニメタイム、キャラクターグッズなどの話題が頻出します。ついていける話題もあれば、ついていけない話題もあったので、平身低頭して教えを乞うてみたり(笑)。
その中で意外に思ったのが、私も昔読んでいた児童書が、今でも子供たちに人気があって、アニメ化・映画化までされていたということ。年月をかけて子供たちの愛を獲得してきたんだなぁと思うと、何やら感慨深いものがありました。
ですので、「その児童書、昔もあったんだよー、私も読んだんだよー」なんて話を子供たちに振ってみました。すると、「ふーん」の一言であえなく撃墜されてしまいました(笑)。年上の人の思い出話がつまらないのは、全世代共通なんですねー。

毎日のお化粧は、女性にとってなじみ深いものですよね。私はあまりお化粧に時間をかけないタイプなのですが、小説でのお化粧シーンを読んでいると、やっぱり女性作家の方が巧いなと感じます。当たり前かもしれませんが。時たま、男性作家でも妙になまめかしいというか、巧いと感じる場合があります。そういうときは、何かと想像力が刺激されていい感じです。妄想大好き!
それはそれとして、親戚繋がりの不思議なご縁で、とあるライトノベル作家さんと知り合ったことがありました。ちなみに男性。その彼にふとしたことで相談されたのが「お化粧シーンの書き方」。そりゃ男性なら書きづらいですよね……うん……というわけで、アドバイスになりそうでならなそうな私自身の所感と、個人的に巧いと感じた作家の本をいくつかおすすめしました。
そのライトノベル作家さんとはすぐにご縁が切れてしまったのですが、肝心のお化粧シーンは見事に書ききっていたことを後日新刊で確認しました。ちょっとは私のアドバイスが役立ったと信じたいのですが、ほんとのところはどうだったんだろう?特に連絡がないのでわかりません。またいつかご縁が繋がるといいなーと思いつつ、今でも影ながら応援しております。

毎日たくさんの本が出版されていますよね。私が生まれてから今日までの間に出版されたもの、それ以前に出版されたものも含めれば何万冊になる事やら…そんな中から、「間違いなく面白い作品」を選びたいというわがままな願望を持っています。まあ、間違いないとまでは行かなくても、割と多くの人が面白いと思ったものが読みたいな、と思うんですよね。
そんな私が、人気がある作品かどうかを判断する基準にしているのが文庫があるかどうか。小説は基本的に新書で出版されて、この時にはハードカバーと呼ばれる堅い表紙の製本で出る場合が多いです。出版から数年経って重版が増えていくと、文庫として出版されます。手のひらサイズでお値段も手ごろ、若干厚めの紙でできた表紙なので、重さも半分以下になることが多いです。
要するに、文庫化されていることが人気のバロメーターの一つになると思うんです。もちろん、最初から文庫でしか出版されない作品もあるので、この限りではないと思うんですけど、やっぱり一般受けしづらい内容とかテーマのものはあまり文庫落ちしないような気がするんですよね。過去に出版されたもので面白いかどうか不安という場合には、文庫落ちしているかどうかを確認してみるといいと思いますよ!

町中を散歩していると、すてきな庭に出会うことがありますね。私は特に英国式庭園が好きです。中でも特に、多種多様な花々が、季節折々の様相を見せながら咲きみだれる、いわゆる「コテージ・ガーデン」のすてきなのを見ると、もう辛抱たまらない!となります。色とりどりの花の影から、ひょっこりピーター・ラビットが飛び出してきそうな、そんな庭。……憧れます。話は飛んで、英国文学に登場する庭の描写にも、さまざまな文化的背景があるのだとか。例えば、『ハリー・ポッター』のウィーズリー家の庭。ウィーズリー家の庭はハリーの理想の庭。のびのびとした描写は、典型的な「コテージ・ガーデン」を思わせます。この「コテージ・ガーデン」が隆盛したのは十九世紀ごろだそうです。上層中産階級で流行ったのが定着し、今に至るのだとか。そして、ロンのママは庭に入ってくる小人がお嫌い。社会人類学者のケイト・フォックス曰く、英国では庭の小人(陶器のノームの置き物)は下層中産階級や労働者階級の庭に典型的なものだそうです。つまりウィーズリー家は上層中産階級。そしてママは階級意識のしっかりした人。そして彼女とは逆に、小人におおらかなロンのパパは、小人なんか心底どうでもいいほど上層の階級出身か、小人を好む階級出身か、ということになるようです。さすがはガーデニング王国・英国。庭の描写一つ取っても、奥深いですね。

書店での立ち読みしながらの選書は、繰り返しているとだんだん脚が疲れてきますね。そんなときにありがたいのが選書スペース。座ってじっくり、落ち着いて本の内容を吟味できるので、いつも活用させていただいています。注意しなければならないのは、決して「読書」スペースではなく、「選書」スペースだと言うこと。あまり長時間居座るのはマナー違反です。この選書スペース、書棚の端に設置されている場合もあれば、窓際にカウンター付きで設置されている場合もあります。個人的な好みは後者です。特にビルのような実店舗の選書スペースですと、ふと目が疲れたときに何かと気分転換しやすいので、利用機会が増えます。いつもと違う目線から見下ろす道路。移動する無数の人々。いつもと違う目線から見上げた空。ほんの少しだけ近くなった気がします。ビル街にあるような書店ですと、ビルのスモーク窓がぴかぴかとその時々の空を映したりするので、楽しいです。選書が終わったらレジで購入。帰途につく。紙袋の幸せな重み。選書スペースを活用したおかげで脚の疲れも少し取れて、足取りも軽い!笑。選書スペースのある書店が、これからもっと増えていくといいな、と思っています。

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次は何を読もうかな……。

一冊本を読み終えて、次は何読もうか迷ったりすることってありませんか?
わたしは結構あるんです。どうせならおもしろいものを読みたいですし。
評判の良い小説ってやっぱり面白いですもん。口コミってかなり参考になります!